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荻野目洋子 1968年生まれ

「ダンシングヒーロー」がリバイバルヒット中の荻野目洋子。幼い頃から子役として芸能活動を始めています。アイドル歌手として、80年代半ばからユーロビートを歌い、日本レコード大賞・金賞を4年連続で受賞、NHK紅白歌合戦にも5回出場しました。2001年に高校の同級生でプロテニスプレイヤーの辻野隆三と結婚、3人の母に。現在も歌手活動を続けており、デビュー35周年記念ライブでは全20曲を熱唱しました。

宮崎美子 1958年生まれ

今は優しいお母さん役を演じることが多く、クイズ番組でも活躍するインテリ女優・宮崎美子。デビューはミノルタ一眼レフカメラのCMで、木陰でTシャツとGパンをはにかみながら脱いでビキニ姿になるという内容で大反響を呼びました。同年「元気です!」でドラマ主演デビューを果たし、以後順調にテレビ、映画、舞台と活躍の幅を広げていっています。現在は2011年公開の映画「太陽は動かない」の撮影中です。

宮前真樹 1973年生まれ

フジテレビが運営するタレント養成講座「乙女塾」一期生となり、Cocoのメンバーとしてアイドルデビューした宮前真樹。Cocoの中ではリーダー的役割を担い、グループ活動をリードしました。1994年Coco解散後はソロとして10年間歌手活動を行い、以降は料理研究家・タレントとして活躍しています。プライベートでは2018年、写真家の萩庭桂太と結婚し、公私とも充実した毎日を送っています。

三浦理恵子 1973年生まれ

乙女塾2期生、Cocoのメンバーとしてアイドルデビューした三浦理恵子。解散後は女優として活躍し、ドラマをメインに多数の作品に出演しました。2019年も「まだ結婚できない男」「抱かれたい12人の女たち」に出演。年を重ねるごとに魅力がアップしていますね。40歳を越えた頃から「全てにおいて頑張り過ぎない」というテーマにたどり着いたそうです。2015年に再婚し、公私共にますます充実しています。

大野幹代 1974年生まれ

「第二回国民的美少女コンテスト」に出場したことをきっかけにモデルとして芸能活動を始めた元Cocoの大野幹代。涙もろいことでも有名で「泣き虫ミッキー」と呼ばれていましたが、瀬野あづさの脱退やグループ解散の時は涙を見せず、芯の強さを窺わせました。2002年に結婚・出産を機に芸能活動を休業。メンバーのSNSには頻繁に名前が登場しているので、Coco再結成でまた姿を見られる日も近いかも?

松本伊代 1965年生まれ

今ではうっかり者の「ダメママ」キャラが定着している松本伊代。デビュー時は「妹」キャラ」でした。デビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」のB面には大好きな兄に似た男の子を好きになる少女の気持ちを歌った「マイ・ブラザー」という曲が収められています。夫であるヒロミが彼女を「ママ」と呼んでいることや、堀ちえみ・早見優とママドルユニットを結成したりと芸能界を代表するママタレとして活躍しています。

三田寛子 1966年生まれ

主婦タレント・元アイドル・梨園の妻・歌舞伎役者の母として現在活躍中の三田寛子。「2年B組仙八先生」の生徒役でデビューし、翌年に「駈けてきた処女(おとめ)」で歌手デビューしています。歌舞伎俳優・中村橋之助と結婚し、3人の男児を出産しました。2016年には成駒屋は歌舞伎界初の親子4人同時襲名を行うなど、一家を裏側からサポートしています。ほんわかしたルックスとは逆に芯が強い女性なんでしょうね。

渡辺典子 1965年生まれ

1982年「角川映画大型新人女優募集」でグランプリを獲得し、16歳のときに映画「伊賀忍法帖」でデビューした女優・渡辺典子。薬師丸ひろ子・原田知世と共に「角川三人娘」と呼ばれ映画・ドラマと活躍しました。今年、角川春樹が生涯最後のメガホンをとり制作された「みをつくし料理帖」の出演を果たしました。角川監督とは30年ぶりとのことで公開が楽しみです!

石川秀美 1966年生まれ

第二回「HIDEKIの妹」オーディションがデビューのきっかけだった石川秀美。第一回の優勝者は河合奈保子でした。デビューシングルはあまりヒットしなかったものの、2枚目のシングル「ゆ・れ・て湘南」では”ボーイッシュな女の子”路線で、男性だけでなく多くの女性からも支持され、大ヒットを飛ばしています。1990年の結婚と共に第一線から退き、その去り際も一転の曇りも無く、「王道アイドル」そのものでした。

早見優 1966年生まれ

14歳でスカウトされ、1982年「急いで!初恋」で歌手デビューした早見優。ハワイ育ちと言うことで、当時の雑誌ではローラースケートやスケートボードを疲労するなどスポーティな印象がありますね。以後バイリンガルであることと、国際感覚を生かし、テレビや舞台でも活躍します。親子で英語に親しめるCD「Let’s sing together!」や子育てエッセー「楽しむアメリカン育児」なども手がけています。

原田知世 1967年生まれ

アラフィフになった今でも少女のような可憐な可愛らしさキープしている歌手で女優の原田知世。俳優・真田広之に憧れて挑んだオーディションで特別賞を受賞し、ドラマ「セーラー服と機関銃」で女優デビューを飾ります。同作の主題歌「悲しいくらいほんとの話」で歌手デビューも同時に果たしました。以前語った「かわいいおばあちゃんになること」という将来の夢は簡単に実現しそうですね!

いとうまい子 1964年生まれ

1983年シングル「微熱かナ」でアイドルデビューしたいとうまい子。その後は「高校聖夫婦」や「いとしのハーフムーン」など女優としても活躍します。タレントとして活動しつつ、10年前に早稲田大学入学、予防医学とロボット工学を学び、現在は東京大学と共同で研究を続けているという頑張り屋さんです。今年出演した「徹子の部屋」では自身が開発した高齢者にスクワット運動を促すロボットを披露しています。

松本明子 1966年生まれ

バラエティ番組のMCなどバラドルとしてのイメージが強い松本明子ですが、デビューはアイドル歌手としてでした。「ももいろ歌合戦」に毎年出場、同期アイドル達とデビュー35周年記念ライブを行うなど近年は歌手活動が多くなっています。4月のステイホーム期間中にSNSで「アイドルうたつなぎ」のハッシュタグで、80年代アイドル持ち歌リレーをスタートさせ、豪華な顔ぶれで懐かしくて元気が出ると話題になりました。

斉藤由貴 1966年生まれ

弟が応募した第三回ミスマガジンでグランプリに輝き、芸能界入りした斉藤由貴。1985年公開の「雪の断章ー情熱ー」で映画発主演を務め、各映画賞の新人賞を総なめにしました。映画・ドラマに加え、20歳の時に「レ・ミゼラブル」で初舞台を踏んで以来、多いときは年に3本舞台に出演しているそう。2020年10月の日曜劇場「危険なビーナス」はベストセラー作家・東野圭吾の小説が原作で主人公の母親役を演じています。

田中律子  1971年生まれ

12歳で雑誌「セブンティーン」のモデルデビューをした田中律子。健康的な明るいキャラクターでバラエティ番組の司会やドラマ「愛しあってるかい!」や「101回目のプロポーズ」で女優としても活躍しました。 自分自身の身体と心に向き合うためにヨガを始め、インストラクターに。5年前から沖縄に移住し、タレント活動をしながらサップヨガ、ビーチヨガのレッスンも行っています。

佐野量子 1968年生まれ

1984年ドラマ「気分は名探偵」でドラマデビューした佐野量子。おっとりした見た目とは裏腹に行動派で高校在学中に自らタレント養成所に毎週通っていた頑張り屋です。バラエティ番組にも多数出演し、天然系バラドルとして活躍しました。天才ジョッキー武豊とは1988年中京競馬場でのイベントがきっかけで知り合い、結婚。その後は妻として夫を支え、数々のJRA記録を保持する「日本競馬界のレジェンド騎手」になりました。

大西結花 1968年生まれ

1986年放送の人気ドラマ・スケバン刑事Ⅲの「折鶴の結花」役で一気にブレイクした大西結花。女優のイメージが強いですが、もともとは松田聖子に憧れふりふりの衣装を着たアイドルになりたかったそう。友人の病気がきっかけで「へアドネーション」活動を知り、寄付する運動もしています。2019年には4年ぶりの「風間三姉妹ライブ」とワンマンライブを開催、さらに今年はデビュー35周年ライブも予定しています。

井森美幸 1968年生まれ

15歳の時にホリプロスカウトキャラバンで12万人の中から優勝し、翌年「瞳の誓い」でデビューした井森幸。アイドル歌手としては芽が出ませんでしたが、バラドルに転向してからは「クイズダービー」を始めとするクイズ番組やバラエティ番組で活躍します。榊原郁恵との料理番組は6年も続く人気番組となり、レシピ本も出版されました。現在もどんな場面でも臨機応変に対応できると多数のバラエティ番組に出演し、活躍しています。

工藤夕貴 1971年生まれ

即席めんのCMで話題になり、1984年歌手デビューしたアイドル出身の女優・工藤夕貴。1991年映画「戦争と青春」で日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞、海外でも活動し、2012年に主演した映画「カラカラ」ではモントリオール映画祭で「世界に開かれた視点賞」、「観客賞」を受賞しました。最近ではドラマ「下町ロケット」や映画「WE ARE LITTLE ZOMBIES」に出演。これからも活躍が期待されます。

後藤久美子 1974年生まれ

12歳の時に出演したNHK大河ドラマ「独眼流政宗」に出演すると、そのあまりの美しさに日本中に美少女旋風を巻き起こし、「ゴクミ」の愛称で一世を風靡した女優の後藤久美子。2017年パートナーであるジャン・アレジとの間に生まれた長女エレナが日本でモデルデビューし、話題となりました。息子ジュリアーノ・アレジは父と同じくレーサーの道に入り、現在F2で活躍中です。

森口博子 1968年生まれ

小さい頃から芸能界に憧れ、念願叶って1985年にアニメ「機動戦士Zガンダム」の主題曲でデビューしたバラドルの森口博子。当時は歌手として人気は出ませんでしたが、後に懐かしのアニメ番組で取り上げられ、歌手としての認知度を上げていきます。2020年9月には「GUNDAM SONG COVERS 2」を発売、売り上げ週間ランキングでも過去最高を記録するなど、ますます歌手として円熟味を帯びてきています。

新田恵利 1963年生まれ

おニャン子クラブで実質活動したメンバーの中で一番会員番号が若い、会員番号4番としてリーダーの役割も担ってた新田恵理。デビュー曲の「セーラー服を脱がさないで」でもフロントメンバーに選ばれ、まさにおニャン子の顔として人気を博しましたね。今年開催予定だったライブは来年に延期されましたが、ちょうど来年は「冬のオペラグラス」でソロデビューしてから35周年なので丁度良いと前向きにとらえているそう。

立見里歌 1965年生まれ

東海大学1年生の時にミス東海大学の栄冠に輝いた立見里歌。これがきっかけで、「オールナイトフジ」にオールナイターズとして出演が決定し、後のおニャン子入りにつながりました。おニャン子内の色物ユニット・ニャンギラスのリーダーとして活躍。現在は子育てもひと段落、広告代理業、編集業、タレント業とマルチに活躍し、2017年から念願であった無添加コスメ「イポラニ」をプロデュースしています。

河合その子 1965年生まれ

「夕やけニャンニャン」のオーディションコーナーに出場し、同時に合格した内海和子・富川晴美と共におニャン子クラブのメンバーとなった河合その子。清楚な見た目で人気も高く、ドラマ「スケバン刑事」出演によりグループ初のソロ活動、また最初のソロCDデビューも果たします。1990年に休養を宣言し、作曲家の後藤次利と結婚、そのまま引退してしまいました。

高井麻巳子 1966年生まれ

おニャン子クラブの会員番号16番だった高井麻巳子。長い黒髪、色白、趣味が茶道と、多くの男子が理想とする女性像ですよね。1985年にはゆうゆとともに、「うしろゆびさされ組」を結成。1988年プロデューサーでもある秋元康と電撃結婚をし、驚かせました。結婚後は引退し、表立った活動はありませんでしたが、本名の「秋元麻巳子」名義で絵本やエッセイを出版しています。

国生さゆり 1966年生まれ

1985年おニャン子クラブ会員番号8番として「夕やけニャンニャン」開始と同時にデビューした国生さゆり。おニャン子卒業後は女優として、イメージそのままの快活な女の子から淑やかな女性まで幅広く演じ、ドラマ・映画で活躍しました。酒豪が多い鹿児島県出身で日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会認定焼酎アドバイザーという一面も。最近ではドラマ「法医学教室の事件ファイル」へ出演しています。

名越美香 1966年生まれ

おニャン子クラブ会員番号9番で、グループ結成初期から活躍した名越美香。小さな体ながら面倒見が良く、後輩おニャン子の良い「教育係」だったようで、解散後も慕われています。おニャン子のシングル曲でフロントになったことはありませんでしたが、アルバム収録曲「いじわるね Darlin’」ではなかじこと中島美春とともにフロントボーカルを担当し、コンサートで披露されました。現在香港人と結婚し、香港在住です。

樹原亜紀 1969年生まれ

おニャン子クラブ会員番号6番の樹原亜紀。初期メンバーとして1985年4月のバラエティ番組「夕やけニャンニャン」の初回から出演していました。バックパッカーとして訪れたアジアで知り合ったオランダ人ニューメディアアーティストの男性と結婚。現在は専業主婦でオランダ在住ですが、2012年、2014年のおニャン子の再結成には参加し、ファンを喜ばせました。

岩井由紀子 1968年生まれ

おニャン子クラブ会員番号19番の「ゆうゆ」こと岩井由紀子。おニャン子クラブの5枚目シングル「お先に失礼」でフロントボーカルに選ばれ中期以降のグループの顔の一人となりました。卒業後は主にバラエティ番組で活躍、ゲーム会社タイトーのイメージキャラクターとしてアーケードゲーム「ゆうゆでGO!GO!」が発売されるなど、元気で可愛らしいルックスが人気でした。1997年結婚を機に引退、2児をもうけています。

白石麻子 1969年生まれ

1985年7月にオーディションに合格し、会員番号22番のおニャン子クラブメンバーとなった白石麻子。優しく指導してくれた名越美香を慕っており、「バナナの涙」の間奏で示し合わせてカメラ前に飛び出すなどお茶目な一面もありました。おニャン子クラブには1987年9月の解散時まで在籍し、6枚目のシングル「恋はくえすちょん」などでフロントボーカルに選ばれています。現在、芸能界は引退し、4人の子供がいます。

杉浦幸 1969年生まれ

雑誌「Momoco」に掲載されたことをきっかけに1985年女優デビュー、翌年「悲しいな」で歌手活動を開始した杉浦幸。清純派アイドルとして多数のドラマに出演します。90年代には多くのパチンコ番組や雑誌で活躍し「パチドル」と呼ばれたことも。最近では自身が厳選した犬グッズを扱うショップ「mauMina」を立ち上げた他、2017年には30年ぶりの新曲「密やかな恋」が配信されるなどマルチに活躍中です。

吉沢秋絵 1968年生まれ

おニャン子クラブ入りと同時に、ドラマで女優デビュー、主題歌で歌手デビューと華々しく芸能界入りした吉沢秋絵。おニャン子での会員番号は25番でしたが、ドラマの撮影が忙しかったこともあり、1年足らずで卒業しています。その後は女優・タレントとして活躍、「笑っていいとも!」にもレギュラー出演し、お昼の顔になりました。

渡辺美奈代 1969年生まれ

1985年11月「夕やけニャンニャン」のオーディションに合格しおニャン子入りした元会員番号29番の渡辺美奈代。わかりやすく王道アイドルの可愛らしい顔立ちで、後期のおニャン子人気を支えた功労者といえましょう。現在もママタレントとして活躍中。長男・矢島愛弥はアイドルに、次男・矢島名月もタレントとしてデビューしており、親子で度々家族仲むつまじい姿をメディアに取り上げられ、注目を集めています。

相原勇 1967年生まれ

最近はハワイ在住のタレント兼コーディネーターということでワイドショーなどへのリモート出演が増えている相原勇。若い頃とは雰囲気が変わり驚いた人も多かったようです。中学生の時に見た榊原郁恵主演のミュージカル「ピーターパン」に憧れて芸能界入りを果たします。ショートカットで元気な明るい女の子というイメージで「いか天」MCでブレイク、1993年からは夢だった3代目「ピーターパン」を演じました

工藤静香 1970年生まれ

1985年に既に「セブンティーンクラブ」でデビューしていた工藤静香。おニャン子クラブには1986年加入しています。翌年ユニット「うしろ髪ひかれ隊」を結成。ソロでも「嵐の素顔」などヒット曲を連発しました。最近はCocomi、koki.の母としてニュースになることが多いですが、昨年初の洋楽カバーアルバム「Deep Breath」を発売、ライブツアーを開催するなど意欲的に音楽活動に取り組んでいます。

芳本美代子 1969年生まれ

みっちょんの愛称で親しまれる元アイドルの芳本美代子。同期デビューが中山美穂、南野陽子ら錚々たる面々だったことやおニャン子クラブの台頭で、あまりアイドルとしては芽が出ませんでした。1990年以降は女優に転身し、ドラマや舞台で活躍します。最近ではリモートドラマ「迷探偵滝沢真理子~リモート会議殺人事件~」に出演。撮影は全て出演者は別の場所からZoomを使って行ったそうです。

山瀬まみ 1969年生まれ

第10回ホリプロスカウトキャラバンでグランプリを獲得し、「メロンのためいき」でアイドルデビューした山瀬まみ。舌足らずで子供っぽい喋り方で、毒を含んでいながらそれを感じさせないさばさばした物言いが受け、バラエティ番組のアシスタントMCとして活躍するようになりました。「新婚さんいらっしゃい!」のアシスタントは23年も務めており、すっかり日曜お昼の顔として定着しています。

宮沢りえ 1973年生まれ

11歳のときにモデルデビューした宮沢りえ。トップアイドルに躍り出るも、写真集での奇抜な話題づくりや、婚約・婚約解消と世間を賑わせ一時活動を休止。2002年の映画「たそがれ清兵衛」で復帰後は、落ち着いた演技の本格派女優に転身しています。最近では映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」で太宰の妻を演じました。プライベートでは2018年V6の森田剛と再婚し、幸せオーラ満開です。

渡辺真理奈 1970年生まれ

オーディション時からMCとんねるずに大いに気に入られるなど期待が高かったおニャン子クラブ会員番号36番の渡辺真理奈。ソロデビュー曲の「深呼吸して」は当時のオリコン初登場1位の最年少記録でした。卒業後はバラエティで活躍、とんねるずを始め、ビートたけしやタモリ、みのもんたなど強烈な個性の大物と渡り合い「猛獣使い」の異名をとりました。現在も夫である名倉潤を支えるよき妻としてバラエティで活躍中。

斉藤満喜子 1970年生まれ

放課後のクラブ活動がコンセプトだった「おニャン子クラブ」に1986年メンバー入りした斉藤満喜子。生稲晃子・工藤静香と共にユニット「うしろ髪ひかれ隊」を結成しました。うしろ髪の妹分ユニットとして、AKB48の派生ユニット「渡り廊下走り隊」が2009年から5年間活躍しています。現在斉藤満喜子は引退しており、解散後も何度か開催されているおニャン子の再結成イベントには一度も参加していません。

茂原裕子 1967年生まれ

初代いいとも少女隊で「チャイルズ」のメンバーだった「ゆうこ」こと茂原裕子。1989年発売のチャイルズを題材にしたスーパーファミコンRPGゲーム「チャイルズクエスト」は、ブラックジョークが散りばめられたユニークな内容で、お笑いファンだけでなく、ゲーマーからも評価されました。茂原裕子は1992年のグループ解散後、芸能界を引退しています。

西村知美 1970年生まれ

おっとりした性格で「トロリン」の愛称で親しまれた元アイドルの西村知美。1986年映画「ドン松五郎の生活」で初主演、主題歌で歌手デビューしました。「スーパーからくりTV」などバラエティ番組出演で人気者に。おっとりとした見た目とは裏腹に50以上の資格を取得する頑張り屋さんです。今年は映画「浅草花やしき探偵物語~神の子は傷ついて」に出演するほか、旅番組でも活躍中です。

中村由真 1970年生まれ

1986年、風間三姉妹の次女「リリアンの由真」としてドラマ「スケバン刑事Ⅲ」でブレイクしたアイドルの中村由真。ソロとしても活躍しますが、浅香唯・大西結花とのユニット「風間三姉妹」での番組出演も多かったですよね。2006年に語学留学中に知り合ったアメリカ人弁護士と再婚、2人の娘+夫の連れ子2人の6人家族になっています。夫は全米弁護士ランキングに名前が挙がるほどの凄腕なんだとか。

立花理佐 1971年生まれ

小さい頃から芸能人になるのが夢でタレント養成所に通いつつデビューを目指していた立花理佐。努力が報われ、1986年にアイドルデビュー。人気ドラマ「毎度おさわがせしますⅢ」に主演、主題歌で歌手デビューととんとん拍子で売れっ子アイドルになりました。2000年に結婚、2004年に男児を出産。現在はハワイアンウクレレバンド「LISA Hawaiians」や旅番組などで活躍中です。

酒井法子 1971年生まれ

バラエティ番組「モモコクラブ」に桃組出席番号1482番としてレギュラー出演し、人気アイドルになった酒井法子。1990年以降は歌手・女優として目覚しい活躍をします。中でも主演したドラマ「星の金貨」の主題歌となった「蒼いウサギ」はミリオンセラーとなり人気を不動のものにしました。今年9月には歌番組「THEカラオケ★バトル」に出演、「夢冒険」を熱唱し、年を重ねても衰えぬ美貌でファンを歓喜させました。

石田ひかり 1972年生まれ

1986年にデビューした石田ひかり。ドラマ「あすなろ白書」を筆頭に等身大の演技ができる若手俳優として多くの青春ドラマに出演しました。30年以上経った今でも変わらぬ美しさと高い演技力で多くの人から支持を集めています。「ひらり」「だんだん」「あまちゃん」と国民的ドラマにも3作品出演しています。2020年はドラマ「きょうの猫村さんまるごとSP」や時代劇「無用庵隠居修行4」に出演中。今後も楽しみですね!

行稲晃子 1968年生まれ

子供の頃はサッカーで全国大会優勝したこともある行稲晃子。おニャン子クラブでは会員番号40番、ユニット・うしろ髪ひかれ隊のメンバーとして活躍しました。解散後は「キッズウォー」で主演を務めるなど女優として活躍。現在は「直撃LIVEグッディ!」などでコメンテーターを務める他、自身が乳がんを患った経験から、厚生労働省がん対策推進室アクションアドバイザリーボードメンバーの一人として、啓蒙活動を行っています。

久留龍子 1964年生まれ

3人組のお笑いアイドル・チャイルズの一員だった久留龍子。「笑っていいとも!」のアシスタント・いいとも少女隊として2年間お昼の顔を務めました。あくまで番組進行のアシスタントが主な役割でしたが、その後歌手活動やファミコンRPGソフト「チャイルズクエスト」の題材になるなどお笑いアイドルとして活躍しました。りんこと久留龍子は1992年に解散後引退しています。

磯野貴理子 1964年生まれ

自由奔放な発言が「キリコる」と呼ばれる磯野貴理子。1987年「チャイルズ」の一員として「笑っていいとも!」アシスタント・5代目いいとも青年隊に選ばれ、知名度が全国区になりました。女優として多数ドラマに出演するほかバラエティで活躍しています。レギュラー出演するトーク番組「はやく起きた朝は…」は25年以上続く日曜朝の人気番組になっており、舞台化、映画化もしています。

森高千里 1969年生まれ

派手な衣装で歌って踊るアイドルというスタイルながら、自分で作詞を手がけたり、ドラムやコーラスで楽曲にかかわるなどアーティストとしてセルフプロデュースをして成功した森高千里。2007年には歌詞の内容どおり、足利市の渡良瀬橋と夕日が見える場所にヒット曲「渡良瀬橋」の歌碑が建てられました。1999年俳優の江口洋介と結婚、1男1女の母となりましたが、ミュージシャンとして精力的に活動中です。

かとうれいこ 1969年生まれ

1989年にグラビアアイドルとしてデビュー後瞬く間に人気トップアイドルになったかとうれいこ。翌年のクラリオンガールに選ばれてから、グラビア以外にも歌、芝居、テレビ番組のアシスタントと仕事の幅がぐんと広がりました。志村けんのコント番組にも出演し、普段は見られない泥棒メイクまでしたことは驚かされましたね。現在はタレントとしてドラマや旅番組で活躍中。機会があればまたグラビアに挑戦して欲しいですね!

中山忍 1973年生まれ

1988年ドラマ「オトコだろッ!」で女優デビューしますが、当初は姉・中山美穂と比べられることでコンプレックスに思っていた時期もあったそう。その後地道な努力を重ね、いまや2時間ドラマにはなくてはならない女優へと成長を遂げています。葛藤や苦悩を乗り越えたからこその今の美しさと活躍があるのですね!今では女優の仕事が楽しく、結婚は考えられないそうです。

相田翔子 1970年生まれ

平成を代表するデュオ「Wink」で活躍した相田翔子。独特な振り付けはカラオケでも女子がこぞって真似しましたね。「涙を見せないで〜Boys Don’t Cry」など洋楽のカバーが代表曲ですが、1993年以降は作詞・作曲も手がけるなど現在のソロ音楽活動に繋がっています。活動休止後はマッシュポテトとわさびを間違えたり、冷蔵庫に顔を挟んだりと思わず笑ってしまう天然キャラでバラエティに引っ張りだこに。

鈴木早智子 1969年生まれ

雑誌「UP TO BOY」のミスコンテストで第7代グランプリを獲得し、芸能界入りした鈴木早智子。同じく第9代グランプリの相田翔子と「Wink」を結成、トレンディドラマ全盛期に「愛が止まらない~Turn It Into Love」が主題歌になりメガヒットを飛ばしました。Wink活動停止後はソロ歌手として活動。平成を代表する国民的ヒット曲を生み出したWink。復活を願う声は少なくありません。

永作博美 1970年生まれ

1989年アイドルグループ「ribbon」の一員としてデビューした永作博美。グループ解散後は劇団を経て女優の道へ。今年で50歳になる彼女ですが、透明感あふれる美肌とキュートな笑顔は20代の頃とまったく変わらず、「奇跡のアラフィフ」と称されるのも納得です。主演を務めた今年公開の感動ミステリー映画「朝が来る」では子宝に恵まれず特別養子縁組をする主婦を演じています。

田村英理子 1973年生まれ

現在はロサンゼルス在住で国際派女優として活躍する田村英理子。オーディション企画でグランプリを取って1989年にデビューしアイドルとして活躍しました。大胆なカレンダー発売も話題になりましたね。2000年に渡米し、映画「DRAGONBALL EVOLUTION」などに出演しました。2019年雑誌に「伝説の’80年代アイドル大追跡」という記事が掲載され、6年の沈黙を破っての発言が注目を集めました。

島崎和歌子 1973年生まれ

マツコ・デラックスにも「無駄に美人」と言われるほど整った美しい顔立ちなのに豪快な「ワッコ姐さん」キャラの島崎和歌子。1989年アイドルデビューの後、東映不思議コメディーシリーズ第10作である「魔法少女ちゅうかないぱねま!」の主演に抜擢され、ブレイクします。現在はタレントに転身、「オールスター感謝祭」での名司会でおなじみですね。これからも明るく楽しい人柄でスタジオを盛り上げてくれることでしょう。

松野有里巳 1973年生まれ

「おニャン子クラブ」や「夕やけニャンニャン」の再来を期して始まったバラエティ番組「パラダイスGo!Go!」のタレント養成講座「乙女塾」メンバーで結成した「ribbon」の一員だった松野有里巳。アニメ「らんま1/2 熱闘編」の主題化にもなった1989年のデビュー曲「リトル☆デイト」ではセンターを務めます。現在はタレント活動と並行してスポーツインストラクターとしても活躍中です。

羽田恵理香 1973年生まれ

1994年に解散したアイドルグループCocoのメンバーだった羽田恵理香。グループ内ではボケ担当で、メンバーやファンから愛されていましたね。Coco解散後は女優の夢をもちつつ、「進め!電波少年」のアポなしロケなどバラエティで活躍しました。2012年未婚のまま1児を出産。現在は子供でも読めるようにと芸名を平仮名表記の「はねだえりか」とし、タレントの他不動産関係の仕事もしているとのことです。

瀬野あづさ 1973年生まれ

Cocoのセンターとして活躍し、ファンの間ではCocoの絶対的エースと呼ばれてた瀬野あづさ。それだけに1992年のグループ脱退はファンにとってもメンバーにとってもショックだったでしょう。歌唱力を買われてソロに転向した後は、THE ALFEEの高見沢俊彦に才能を認められ、曲の提供を受けるようになりました。現在特に芸能活動はしていないようでうが、アーティストとしての再始動をファンは待ちわびています。